人の優しさを素直に受け取れないのはなんでか考えたのと、その解決法
こんにちは。ほしかみです。
仕事を辞めるにあたって、いろんな人の優しさに触れました。
落ち込んでいる私を責める人はいなくて、気遣ってくれる人ばかりでした。
うつになり、突然に逃げるように退職したにも関わらず、「大丈夫?」「心配してるよ、いつでも声かけてね」なんてメッセージをいただきました。
みんなどうしてこんなに優しいんでしょう。不思議です。
優しくされると、嬉しいのと同時に申し訳なさがあってうまく受け取れなくて、すごく困りました。
私なんか、優しくしてもらう価値ないのに。
みたいな。
めんどくさいですね〜。笑
さらに、
私に優しくしてくれたから、この人の言うことを聞かないといけないな。期待に応えなきゃいけないな。
って自分で自分を縛ってるんですよね。ほんとめんどくさい。
・優しくしたい人はそうしたいからしてるだけであって、素直に受け取ればいいんじゃないか
そう思うようになったのは、立場を逆転させて考えてみたからです。
私が人に優しくするのはどういうときだろう?と考えてみて、それは相手のためを思って行なっていることだよな、と。
相手に申し訳なさを感じさせようとしてるわけでもなく、期待に応えさせようという思惑があるわけでもなく。
ただこうしたら相手が気持ちよく過ごせるかなと思って行動してるだけなんですよね。
それって他の人も同じなんじゃないかなって。だったら、自分で自分を縛り付けることなく、ありがとうと思って素直に受け取ればいいんじゃないかな、と。(中には邪な考えで優しくする人もいるでしょうけど…)
第一、素直に受け取らないのって優しくしてくれた人に対してちょっと礼儀に欠けてますよね。
「大丈夫?」
「ああ〜〜全然大丈夫です、ほんとに、気にしないでください」
って拒否されたら、あんまり気分のいいものではない気がするんです。
優しさがお節介になってしまうときもあるでしょうし、人の言動に対して自分がどう捉えるかも自由です。
でも自分で自分を縛ってめんどくさいことになってるなら、
私は、優しくしてもらうだけの価値があるんだ
と思って受け取った方がずっといい気がします。
自己肯定感も高まりそうですしね。
そんなこと考えたよって話でした。
人の期待に応えようとしんどくなると気付いた話
こんにちは。ほしかみといいます。
最近やっとわかってきたことがあるので、備忘録も兼ねて記事にしておきたいと思います。
人の目を気にして、期待に応えようとするからしんどくなってしまう
時間ができて、思考の整理がつくようになったから気づけました。
以前も書きましたが、私は相手の考えとか思いがわかっちゃったりするところがありまして。わかったからには期待に応えてあげなきゃ失礼なんじゃないかって思ってしまうんですね。だから自分の本心と異なってても相手の考えを優先してしまう。
なぜそうするのかって、やっぱり、嫌われたくないから。
でもこの行動は、私が勝手に行なっているから相手に責任はないんですよね。空気を読むのが得意なんで自分が傷つく前に予防線張ってるんです。
相手が喜んでくれるから良いんだって、そうやってきましたが、疲労感が溜まる一方でした。
今回、働き始めてやっていけなくなって、
嫌われたくないからって相手の期待に応え続けて、自分に嘘つき続けてたらしんどくなるんだってやっとわかりました……。
思えば大学進学したのも、辛い就活乗り越えて会社に入ったのも、親だったり世間体だったりを気にしてた部分がだいぶあります。
しんどくならないためには
自分の本心と異なった行動をしてしんどくなるので、
・無理に応えようとしない
・人は人、自分は自分と割り切る
・嫌われる覚悟を持つ
というふうに行動を変えるのもひとつの手ですし、そうしようと思っています。そして、
・自分のしてあげたいこと=相手のしてもらいたいことになる
のが一番良いんじゃないかと思います。一番良いというか、私に合っている。
誰かの役に立ちたいという思いはもうずっと変わらないので、なら否定するのではなくそこを活かせないかと。
そうすれば、私も相手もウィンウィンの関係になれますしね。
誰が何を望んでいるのか、あまりにも膨大で本当に掴み取ることはできないのかもしれません。
ですが私は、私のように生きづらさを抱えてもがいている人に対して何か手助けできればと思っています。
私がしてあげたいこと=生きづらさを抱えた人たちがしてもらいたいこと
この等式を実践していきたいです。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
田中圭一『うつヌケ』読書感想文。私のうつヌケするきっかけはブログでした(多分)
こんにちは。少しづつ前向きになって来たほしかみです。
本屋で目に留まったので田中圭一さんの『うつヌケ』を読みました。そこで感じたことを書いていきたいと思います。うつで悩んでいる方に読んでみてほしい一冊です。(タイトルに「多分」が入っている理由は後述します)
『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』とは
この本はマンガ家である田中圭一さんが、長年悩まされてきた「うつ」とどうやって折り合いをつけていったのか、またそのほかにも「うつ」を抜け出した人たちを取材し、「うつ」を抜けるきっかけを広めようと田中さん自身がマンガ化したものです。
各話ページ数が限られているせいかやや速足のエピソードもありますが、参考になる部分が多くありました。
うつトンネルという言葉
そうそう、気になってたんですよ。「うつ」って治ったと思ったらまたやってきますよね。それを「トンネル」という言葉で表現したのはまさにその通りというか。
またあの頃の憂鬱な感じだ……いやになる。どうしたらいいの
って繰り返すたび自分って成長してないんだと思わされて苦しくなります。
うつになるきっかけは?
全体的なうつになるきっかけとして、
- 向いてない仕事を無理をしてがんばる
- 過労・疲労によるストレス
- 過度なプレッシャー
- 幼少期のトラウマ
といったところでしょうか。しんどい環境にいるなら本当に潰れてしまう前に逃げた方が良いと思います。
しかし、このマンガに出てくる取材された人たちはみんな「うつ」を抱えながら、それでも体に鞭打って仕事に行っている人が本当に多いですね……確かに、簡単に仕事を辞めるわけにはいかないのでしょうけど。
無理してでも出社しなければと思わされ、メンタルを潰しにくる日本の労働環境にも問題があるのでは。
うつを抜けたきっかけは?
登場人物のみなさんそれぞれ異なりますが、最終的にまとめられたのは以下のようなものでした。
- 自分を否定するものからは遠ざかり、肯定してくれるものに近づく
- 夢中になり、達成感を得られるなにかを見つける
- 必要とされている、役に立っていると実感する
この中の「夢中になり、達成感を得られるなにかを見つける」ことは比較的簡単なのではないかと思います。
現に私は、ブログを書くのが楽しいです。
もともと文章を書くのが好きなのを思い出させてくれました。
私の一例から話を広げさせてもらうと、子どもの頃に夢中になったこととか、好きだったなってことをやってみるといいんじゃないでしょうか。またはそれに近しいけど、別のこととか。
例えばギターを弾くのが好きだったなら、次はウクレレを弾けるようになってみようとか。新しい要素が入っていると未知の部分があるから、ワクワクしますしね。
気が滅入っているときに夢中になれるものを探すのは大変だと思います。
だから、ほんの少しでも興味が持てたもののことを思い出してみてほしいです。それがあなたの救いになるかもしれませんから。
うつは治る・治らないではなく、うまく付き合っていくもの
『うつヌケ』作者の田中さんもいまだ精神状態が危うくなることがあるみたいです。「トンネル」という言葉を使っているように、またいつトンネルの中に入ってしまうかはわからないんですよね。だからまた入りそうになってしまったら、否定するのではなくて落ち着いて受け入れるのがいいのかなと思います。
無理に対処しようとか思わない方が良いと書いてありましたし。(私も精神科に行っては早く治ってほしくて焦ってました。これが良くないんだろうなあ)
私がタイトルに「多分」という言葉を入れたのは、完全にトンネルを抜け切れたかどうかはまだわからないからです。もしかしたらまた近いうちに落ち込みが激しくなるかもしれない。それはわかりません。
でも、トンネルを抜けるたびに「うつ」との付き合い方がわかってきて、切り抜け方も見えてくる筈です。そう考えたら少し楽になりませんか。
以上、『うつヌケ』の読書感想文でした。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
会社辞めました。世間的には無職だけどすごく楽になった
こんにちは。ほしかみです。
新卒で働き始めてすぐうつになってもうアカンようになったので逃げるように会社を辞めました。
本当にいろんな人に迷惑かけました。
今まで世話を焼いてくれた会社の人たちに申し訳ない。私は何も恩返しができていない。せっかく雇ってくれたのに見込み違いでごめんなさい。こんな人間が入社しちゃってごめんなさい。
……と、ぐるぐるぐるぐる考えて死にたくなっていました。でも、退職届を出して、保険証も返したら、なんだかこれまで私を縛っていたものが無くなったようで、急にスッと心が軽くなったんです。
なんかもーいいやー!!
開き直りました。
ただのクズな人間だろうけど
世間的には無職だしすぐ会社辞めたクズなやつでしかないでしょうけど、今は勤めていたころよりずっと心が平穏です。
それで良かったと思います。
世間やら他人の目と、自分の幸福はどちらが大切なのか、すごく考えました。やっぱり自分を一番大切にできるのは自分しかいないと答えを出しました。
それに、自分が自意識過剰なだけで、他人は案外気にしてなかったりしますしね。
自分勝手で、わがままで、どうしようもないでしょうけど。だからこそ責任をもって自分の人生を決めていこうと思います。
この開放感を忘れたくない。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
精神科に行きたくない理由をただ書き殴る
こんにちは。ほしかみといいます。
私はこれまで何度か精神科にお世話になってきました。高校生、大学生の頃と。今も通院中です。
お世話になっておいてなんですが、私は精神科が嫌いです。できることなら通いたくない。
たかだか毎週10分〜15分話聞くだけで治療ってできんの?
それがすごく疑問です。
しかも料金が高い。10分の診察時間で1300円くらい取られる。保険料3割負担額でこれだから元は約4300円。
時給にしたら25800円!
いい商売だなぁと思ってしまう。もちろん高度に専門的な仕事だからそれ相応の料金なのでしょうけど。
その仕事ぶりが信頼できないからなんとも……
「その後はどうですか」
「〇〇って感じです」
「そうですか。じゃあお薬増やしてみましょう」
「はあ」
「まあ様子見てみてください。診察は以上です。お大事に」
ぽかーんとして終わる。だいたいこんな感じ。
あんまり良くなってる気がしないのだけど、もっと気長に構えないといけないんだろうか。
通うのがバカバカしくなって行かなくなって、また調子が悪くなったときに仕方なく精神科に行く、を繰り返しています。結果3回も病院を変えています。ドクターショッピング?
それでも精神科に行く人って多いんですね。今回も心身がおかしくなってすぐ行ける病院を探して電話をかけたところ、3箇所断られました。
中には予約が取れるのが1ヶ月半後のところもありました。
世の中みんな疲れてるんだなぁ……
ちなみにカウンセリングも苦手です。カウンセラーの方の態度に気が引けて、1度行っただけでやめました。
ああ、この人は私に心を開いてもらおうと必死だなぁ…この質問は、こういう意図があるんだろうなぁ…と感じてしまい、私も心を開かなきゃいけないんだろうなぁと思わされるのがいやでした。
しかもカウンセリングも1時間10000円くらいする。払ってくれる親に申し訳ないのもあってもういいや…ってなりました。
精神科に行かずとも、信頼できる家族とか友人とかに自分の話を聞いてもらうだけで心が安らげば、それが1番いいんでしょうね。
もちろんこれは一個人の感想なのでさらっと流してくださいね。本当にしんどくてどうしようもない人は病院に頼るべきです。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
食感がダメで生のフルーツがほとんど食べられなくて困る
こんにちは。ほしかみといいます。
突然ですが私はタイトルの通り生のフルーツがほとんど食べられません。イチゴとか桃とかなんかガリガリッてなるのがどうしても苦手なんです。
みかん系もダメです。というかみかんは一番苦手。あのぶつぶつしてて噛んだら
プチっ
じゅわ〜
ってなるのがもうダメです。オエエッてなる。
同じ理由でイクラも食べられない…フルーツじゃないけど。
メロン、スイカ、ぶどう、ブルーベリー、キウイ、マンゴー、さくらんぼ…
一般的に売られているフルーツは大体どれも苦手です。噛んだ途端気持ち悪さが込み上げてくる。
問題なく食べられるのはバナナ、リンゴ、梨、ラフランス、パイナップルくらい。パイナップルそんなに好きじゃないけど。
味が嫌いってことはないんですよ。全然。そのフルーツを使ったジュースとかアイスは好きですしね。
ただ食感がダメなんです。
フルーツポンチとか地獄です。
生のフルーツが食べられないことで色々と不都合な場面に出くわすことがあります。
給食のデザートに出てきたみかんが食べられない。(残したらいけないんだよー!と言われる)
贈答品にメロンを貰ったけど食べられない。(高級なやつだったなぁ)
夏の暑い日、おばあちゃん家に遊びに行ってスイカを切ってくれたけど食べられない。(無理して食ったけど半分が限界だった)
みんな大好きイチゴのショートケーキが食べられない。その他生のフルーツが混じってるスイーツが食べられない。(コイツさえいなければ…と思う)
コタツにみかんができない。
(私もあの幸福を味わってみたい)
というように食感がいやというだけで私はこれほどの損をしているのです。
好き嫌いが多いというのは損でしかありませんね、ほんとに。
誰か他に食感が苦手で食べられないんですって人いないんですかね?今までそんな人と会ったことがないので気になります。
どうしたら食べられるようになるんでしょう。
うえええと言いながら食べて慣らそうとしたこともありましたが、無駄でした。たぶん口内〜歯の神経が原因だと思うので、手術でもして回路をいじるしかないんですかね。
そんなことできるのかもよくわかんないけど。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
もっと生きやすい環境を見つけるために私はブログを始めた
こんにちは。ほしかみと言います。
うつで自宅療養中ですが、近いうち退職する予定です。そしたら無職ですね。ニートですね。どうしましょう。
私に会社員は向いてないことはこの2ヶ月ではっきりわかりました。2ヶ月で行けなくなったんだから間違いない。(?)
もともと集団に属することが苦手でした。小学生の頃から学校に馴染めなかったんですよね。周りについていけなくて。みんながワイワイガヤガヤ騒いでるのがうるさくて苦痛でした。
なんでもかんでもみんなと合わせないといけないあの空気も苦手でした。私は他人の考えてることがなんとなくわかるところがあるので、
「あ、この人はこうしたいんだな」
「私の考えとは違うな」
「でも合わせないと文句言われるよな…」
「それに合わせたら喜んでくれるし、いっか」
そうひとりで考えて言葉を飲み込むことは日常茶飯事。相手が喜んでくれるからいいやと自分の思ったこと、感じたことを素直に言わずにいました。
仲間外れにされないか、他人に嫌われてないか、いつもびくびくしていました。
でもおかげで、周囲からは「良い人」「優しい人」「気遣いのできる人」みたいな評価をもらっていました。
確かに嬉しかったけど、私の心はすり減っていたんだろうなと。人と会った後ってものすごく疲れるから。
そしてそれは大人になっても変わっていないんですよね。
確か高校生ぐらいのころ、ネットでこういうのを見つけました。HSPというもの。
ハイリー・センシティブ・パーソン(英語: Highly sensitive person, HSP)とは、生得的な特性として、高度な感覚処理感受性(あるいは、カール・ユングの造語で言えば生得的感受性[1][2])を持つ人のこと。共通して見られる特徴として、大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感であることが挙げられる。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ハイリー・センシティブ・パーソン より)
わかりやすく言えば人一倍敏感で繊細な人、といったところですね。
セルフチェックがあるので、興味のある方はやってみてください⬇︎
https://hspterakoyacafe.jimdo.com/hspについて/hsp診断テスト/
私はこのチェックテスト、23項目中22項目当てはまりました。
(カフェインに敏感に反応するというのがよくわからないのだけど、コーヒー飲んだらお腹痛くなることとか…?コーヒー好きなんだけどな)
つまりHSPは、他の人が気づかないようなところに気がついて、あれこれ神経を消耗してしまうんです。そして疲れてしまい、それが生きづらさにつながっているのではないかと。
必要以上に神経を使ってしまう私は働いている時、いろんなものにがんじがらめにされて、心が休まる暇がありませんでした。
最近改めて調べてみて、昔はこんなにHSPについてのネットのいろんな記事が無かったように思います。(認知度が高まってきたんでしょうか。喜ばしいことです)
ずいぶん前に「ふーん、そうか、私ってHSPなんだ」と知ることはできたのですが、今になって、それがいかに私の生きづらさに影響を及ぼしているか身に染みて感じます…。
さて。
会社員には戻りたくない私ですが、一応こうしたいという夢があります。
・無理しないで生きられる環境を作る
・どこにも雇われたくないので自分の力でお金を稼ぐ
そして、
・私と同じように生きづらい人の手助けがしたい
・生きづらい人たちが集まれるコミュニティを作りたい
そのために、ブログを始めてみました。
会社勤めが合わないけど、他に選択肢がないから無理して働いている人って多いと思うんですよ。そういう人たちの手助けがしたいです。なにができるかもわからないし、まずは自分の面倒を自分で見きれるようにしないといけないんですが。
なにかのきっかけになれば良いなと。
しばらくは療養しながらアルバイトを始めて、ブログを更新していこうと考えています。
正直、うまくいくのかどうか、不安でたまりません。でも何もしないことには始まらないので。
私は今度こそ私のために頑張りたいのです。
ここまでお読みくださってありがとうございました。